
独創性の根源は好奇心である。問題と答えの関係と同様に、優れた問いそれ自体が答えの重要な構成要素であるならば、好奇心もまた独創的な力の一つである。— Paul Graham1
最近、私はChatGPTを日常的に大量に使用している。自分の記事の校正、ノートを取る際に反対意見を提示してもらうこと、様々な疑問に思うことをChatGPTを通じてさらに理解を深めることなど、もちろんその答えを疑うことも少なくない。使えば使うほど、ChatGPTはある種の投影であると感じるようになった。それは博識だが時折細部で間違える対話機械のようなものだ。しかし、あなたが話しかけなければ、疑問を解決してくれることはない。
あなたが問いかけたときにのみ、この対話機械は整然と答えを整理して返してくれる。
『浦沢直樹 × 米山舞 スペシャルお絵描き対談』のインタビューで、浦沢直樹はAI描画ツールについての見解を述べている。その中で、アニメで壮大な夕日のシーンを描く際、手描きでは非常に多くの時間がかかるため、AI描画が役立つと述べた。しかし、その前に、自分の頭の中でその壮大なシーンについて既に想像を持っていなければ、その後AI描画を補助的に使うことはできないという。
「頭の中にイメージがなければ、それも意味がない」と浦沢直樹は言う。
振り返ってみると、私が普段ChatGPTを使用する際も、それに役割を設定している。例えば、ノートを校正するための役割は「あなたは厳格な編集者で、私のノートに対して反対意見や批判を提示し、ノートの内容をどう修正すべきかを提案する」というものだ。しかし、役割を設定するとき、あなたは必要な機能や視点をそれに付与していることになる。つまり、あなたは自分自身の拡張された役割と対話しているのであり、それがより大量の知識を持っているだけなのだ。しかし、その視点、役割、そしてそれが行うべきことを設定するのはあなたであり、これらの設定こそが真の独創性を与える場所なのである。
好奇心に満ちた人として、絶え間なく様々な質問を投げかける。難題に直面したとき、自分が確立した拡張された役割と対話し、反復の循環の中で自分の見解をますます理解していく。表面的にはChatGPTを使用して答えを求めているが、その背後にある力の源泉は好奇心と問いかけである。
私にとって、ChatGPTは好奇心の投影と拡張である。最終的に、重要なのは背後にいる問いかける人なのだ。
Footnotes
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周欽華が翻訳した『How to Do Great Work』のFacebook投稿から引用し、若干の文言を調整した ↩