
夢は記憶を定着させる過程で生まれる副産物だという説がある。人が深い眠りに落ちると、その日に得た喜怒哀楽のさまざまな体験が脳内で整理され、新しく形成された記憶の一部が長期記憶として収納される。その作業で舞い上がった塵のようなものが、夢になるのだという。
一方、目覚めている時にぼんやりする瞬間にも、私の思考はふと漂い出すことがある。例えば朝起きて、まだ灯りをつけていない居間に座り、斜めに差し込む陽光がカーテンに映るのを眺めながら、昨日の誰かとの会話で感じたぎこちない感情を思い出す。あるいはコーヒーを淹れて蒸らしを待つ三十秒の間に、コンビニの店員の心遣いをふと思い浮かべる。
目覚めている時の思考の漂いを、『空間の詩学』では「白日夢」と呼んでいる。この過程で私の思考は整理され、無意識のうちに次はどうすべきかをひそかに決めている。一見ランダムに見えるこの漂いも、よく見れば、言葉にできないけれど心にかかっていることばかりだ。
夢と白日夢は循環のプロセスだ。夜の夢は脳が記憶を整理することで生まれ、昼の白日夢は価値観を再構築する。その再構築された価値観が、また夜の夢の新しい素材になるのかもしれない。
こうして何度も自分の記憶を折りたたんで収納していくうちに、自己成就的な解答の書が形作られていく。それは気軽にページをめくれるものではないけれど、未来にさまざまな出来事が起きた時、心はすぐにその出来事にふさわしい感情の反応が書かれたページを開いて、嬉しい時には嬉しく、悲しい時には悲しむことを教えてくれる。
この書を書き換えるのは容易ではない。けれど、自分自身を繰り返し振り返り、書くことやその他の方法で自分の感情反応や反射的な行動を客観視することで、少しずつ、衝動的な行動や理由のない悲しみを理解できるようになる。自分の肩を優しく叩いて、いいタイミングを見つけて自分自身と和解する。