季節のあいだ

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「東京に来てからどんな感想を持ってる?」

何人かの友人が、異なる時期にこの質問をしてきた。来日したばかりの頃、数ヶ月経った頃、そして最近も。この質問は時折ふと浮かび上がり、私自身もよく自問する。この問い(とその答え)は、かつて台湾東海岸の小石の浜辺で聞いた波音のようだ。波が次々と打ち寄せ、引いていく白い波しぶきが小さな丸い石を巻き上げる。転がる石の音が、流れるようなリズムを奏でていた。

「季節感、かな」と私は答える。

日本で過ごす時間の中で、時の流れは目に見える痕跡を残していく。四季の移ろいはそれぞれ異なる形で現れ、年輪のように密度の違う刻印を残していく。

春には、住まいの近くの道の両側に桜が咲き誇る。小さなトラックが走り抜け、ピンク色の花びらが舞い上がる。紫陽花が至る所で咲き誇る蒸し暑い夏、汗だくになって祭りの神輿を担いだ。肩のあざがまだかすかに痛む頃、蝉の声は次第に静まり、デパートのトイレの水道からはお湯が出るようになった。

マンションの入り口から眺める景色の中で、これまで気づかなかった遠くの景色——秋になると、富士山が時折雲の間から姿を現すようになった。

この数日、盛岡の南昌荘を訪れた。紅く染まった紅葉と日本建築が、まるで時間を止めてしまったかのようだ。手足がこの季節の寒さを感じ始め、斜めに差し込む陽光の中で、無意識にその温もりを求めて手足を伸ばしてしまう。

日本で過ごす日々の中で、季節感は波のリズムのように次々と私に押し寄せてくる。これらの記憶を丁寧に畳み、書き留め、大切に保管すれば、いつかそれは自分だけの年輪となり、この土地で生きた証を刻んでいくだろう。

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Yuren 2025年11月16日
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